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2014/03/16

堂本印象

堂本 印象(どうもと いんしょう)

1891年12月25日 – 1975年9月5日

本名は堂本三之助、日本芸術院会員の日本画家です。

 

1891(明治24)年、京都市に生まれる。

1910(明治43)年、京都市立美術工芸学校卒業後西陣織の図案描きの仕事に就く。

1918(大正7)年、日本画家を志して京都市立絵画専門学校(現:京都市立芸術大学)に入学。

1919(大正8)年、第1回帝展初出展作「深草」が入選した。

1920(大正9) 年、第2回帝展に「柘榴」、「西遊記」を出品。

1921(大正10)年、第3回帝展では「調鞠図」で特選を受ける。

1922(大正11)年、第4回帝展に出品した「訶梨帝母(鬼子母神)」により推薦を受け、以後、帝展無鑑査の資格を得る。

1925(大正14)年、第6回帝展に出品した「華厳」が帝国美術院賞を受賞し、第一級の日本画家として認められた。

1936(昭和11)年、京都市立絵画専門学校教授。

1944(昭和19)年、帝室技芸員。

1950(昭和25)年、日本芸術院会員。

1934(昭和34)年、白浜町に別宅を持つ。

1961(昭和36)年、文化勲章受章。

1963(昭和38)年、大阪カテドラル聖マリア大聖堂 に壁画『栄光の聖母マリア』を描いた功績により、当時のローマ教皇ヨハネス23世より聖シルベストロ文化第一勲章を受章した。

 

戦後、抽象表現や障壁画の世界にも活躍の場を広げ、国際展覧会に多くの作品を出展するなど国際的にも活躍しました。

篤い信仰心を持ち、仏教的なテーマを描いた作品や、寺院の障壁画は生涯を通じて描き続けられて、和歌山県内でも、高野山根本大塔壁画や柱絵、田辺市奇絶峡磨崖仏原画、田辺市高山寺の高山寺縁起絵巻を描いておられます。

白浜町には制作を行った別宅があったため、白浜温泉銘菓製造業組合として「ゆず」を描いて頂きました。白浜温泉銘菓製造業組合が解体した後、組合員4社のみが使用できるものとなっています。